『1Q84 BOOK3〈10月 | 您所在的位置:網(wǎng)站首頁 › 屬猴大利月小利月圖表 › 『1Q84 BOOK3〈10月 |
小さなメモ帳に何やら書きこむ綿矢さん、スケッチ?ブックとカメラを手にすいすい歩く水丸さん。4月のある晴れた火曜日、2人は『1Q84』の舞臺かもしれない場所をめざして出かけました。青豆が降り立った首都高速3號線の三軒茶屋、天吾が月を眺めた高円寺の公園、ふかえりが住む青梅の二俁尾――。村上ワールドの入口へ、いざ出発!
「1Q84」は世界中で読まれているが、たとえばNHKの人が突然家を訪ねてきたときの、あのぎょっとする感じは、日本に住んでいないと分からない。そういうのが、ラッキーな感じがして、うれしい。日常に物語が重なる喜び。 「1Q84」の舞臺かもしれない場所を訪ねるのも、そんな楽しみの一つ。日本に、東京に住んでたからこそ、へえ、いつも通っていたあそこがねえ……という感慨深さを味わえる。 * 今回は安西水丸さんと「1Q84」の舞臺かもしれない場所を回らせてもらった。村上さんと安西さんの作品が好きな私が同行できるなんて、またとないありがたい機(jī)會だ。 朝一番に向かったのが、麻布のお屋敷街。謎めいた老婦人が住む、「柳屋敷」があるとされる。マンションや小ざっぱりした屋敷が並ぶ、風(fēng)通しの良い高級住宅街で、意外にも“いかにも”な家は少ない。 しかし一軒、背の高い木々をフェンス代わりにして人目を遠(yuǎn)ざけた、広大な敷地の、ミステリアスなお屋敷があった。個(gè)人の方の家なので、詳しくは書けないが、さりげなく、でも徹底的に人目を阻んでいる。正門がどこにあるかさえ、よく分からない。ひょっとしたら、無いのかもしれない。どこまでも続くその家の塀の周りをぐるりと散歩しながら、“柳屋敷だったら、私たちの姿はすでに監(jiān)視カメラに捕らえられている”とひやひやした。 *次は車に乗って用賀まで行き、Uターンして首都高の三軒茶屋あたりの退避所へ。作中に登場するエッソ石油のタイガーの看板は、1984年には実在したかもしれないけれど、いまは無く、違う石油會社の看板があるのみ。首都高は以前何度も通ったが、小説を読んだ後だと、ただの交通手段のための道路とは思えない。たくさんの車が猛スピードで行き交い、めまぐるしいエネルギーが渦巻いている。車をほんの短い間退避場所に停めた。道路はぐわんぐわんと揺れ、空中に建っているのが如実に分かる。思ったよりも高い位置にあり、周囲のビルを見渡せる。青豆はタクシーから出るとき、勇気がいっただろう。車に乗っているのは人間のはずなのに、ここは生身の人間が存在してはいけない、びりびりした威圧感がある鋼鉄の世界だ。 首都高を降りて、高架下の非常階段も見に行く。階段は鉄骨がむき出しで寒々しく無機(jī)質(zhì)だが、高く細(xì)長く、螺旋になった奧行きがかっこ良い。青豆が強(qiáng)い風(fēng)にあおられながら、ヒールを鳴らして降りてきたら、ずいぶん絵になるだろう。 階段の柱にはすでに何者かによる“1Q84”の文字と2009年の日付が。先を越された、ずいぶん前に越されちゃった、となぜかうれしくなる。 * 青豆が二つの月を見上げる天吾を発見する公園の候補(bǔ)は二つ。高円寺のやなぎ公園と高円寺中央公園だ。マンションに囲まれ、環(huán)七からも近い高円寺中央公園の方が、舞臺である可能性は高い。でもやなぎ公園も、こぢんまりして可愛い。小さなすべり臺は砂がざらざらして、すべれそうにないが、それがいい。 すべり臺に座って月を見上げる大人の男の人を想像したら、なんだかせつない。途方に暮れているのが、本人も気づかないうちに、背中ににじみ出ていそう。10歳の頃から好きな男の人が、自分たちにしか見えない二つの月を見上げているのを見つけたとき、青豆はどんな心地がしただろう。平和な住宅街の公園で、彼らの戀の帯が発光して浮かび上がる。 お晝は安西さんおすすめのカレー屋さん荻窪の「すぱいす」で。さらっとした爽快な辛さのうまいカレーを食べると、満腹でいい感じに眠たくなり、日差しが暖かいのもあって、うつらうつら。 荻窪から中央線に乗って、二俁尾へ。けっこう遠(yuǎn)出しているなと感じるほど、乗車時(shí)間は長く、景色もみるみる都會から田舎へ変わっていく。東京とは思えないほどのんびりした、自然の豊かな場所で、渓谷を流れる多摩川が美しい。山に咲く野生の桜の木が、緑にほのかなピンクを溶け込ませているのもきれい。しかし山自體はけっこう険しそうで、戎野教授の家があってもおかしくない、浮世離れした、世界と隔絶された雰囲気もある。かつては三田氏と北條氏の戦場で、軍畑という、ものものしい地名が隣にあるこの地は、ただのどかなだけではなく、奧になにかを秘めた土地なのかもしれない。 安西さんが、すいすいと自然のなかを歩いていかれる姿が印象的だった。好きなように歩きながら、見たいものを見ている感じ。もしかしたらいまご覧になっているものが、あの楽しく素?cái)长式}になるのかもしれないと思うと、ついつい背後から視線の先を追った。 * 最後は、青豆が「さきがけ」のリーダーと対峙するホテル?オークラ。伝統(tǒng)と歴史がホテル全體に染みつき、重厚だが、本來の役割である、宿泊客が食べて眠る場所としての、リラックスできる雰囲気もある。このホテルのロビーに、あの坊主頭とポニーテイルのボディーガードたちがスーツ姿で歩けば、どんなにさりげなく存在しようとしても、ものものしさを隠しきれず、目立っただろう。宿泊客がどんな人間なのかは、ホテルの従業(yè)員にもよく分からない。ホテルは村上さんの作品にもよく登場するが、落ち著いた上品な空間でありながら、様々な人間が行き交うミステリアスな場所だ。 1Q84めぐり、終了。今回感じたのは、青豆と天吾の過ごす環(huán)境の格差。同じ東京でも、青豆は洗練された上流階級の、しかし同時(shí)にびりびりした緊張を強(qiáng)いられる環(huán)境に生き、天吾は普通ののんびりした住宅街、しかし人目を避けて隠れ住む風(fēng)情もある環(huán)境に生きている。 そのまま生活していたら交わりそうにない2人の世界が、ふっと重なる、公園で二つの月を見上げる場面が、本當(dāng)に美しいなと、改めて思う。お互いを呼ぶ小さな聲が、近くて遠(yuǎn)い場所にいる2人を徐々に引き寄せ合い、ささやかな公園で、さりげなく自然に、靜かに重なり合う。 もう一つ感じたのが、村上さんの無いものを視る力。首都高やホテル?オークラなど、普通ならただ通り過ぎる、都會の機(jī)能の一部としか認(rèn)識されていない場所に、物語の入り口を見つけている。そんな場所から始まった、誰も見たことのない世界を、誰の頭にも思い描ける文章で書いている。リトル?ピープルが、何もないはずの空間から銀の糸をひっぱり出して、空気さなぎを作る儀式を思い出す。「1Q84」の世界はまったくの未知の世界ではなく、どこか懐かしい。頭の底に埋もれて、埃をかぶっていた部分の想像力を掘り起こしてくれるような。目に見えないエネルギーの鉱脈を探り當(dāng)てる力が、別世界に通じる扉を開ける。 (わたや?りさ 作家、あんざい?みずまる イラストレーター) 波 2012年6月號より |
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